東北地方太平洋沖地震緊急消防援助隊での活動報告

311日、東北地方太平洋沖地震の被災地に、緊急消防援助隊大阪府隊として派遣された、町消防本部職員4人が、岩手県釜石市と大槌町へ救援活動を行ってきました。
緊急消防援助隊として、彼らが救援活動を行った2日間の壮絶な現状と、救援活動での活動の報告です。
(緊急消防援助隊は、阪神淡路大震災を教訓に平成7年に創設されたもので、大規模災害などが発生した被災地に駆けつけ、消火や人命救助活動などを行う部隊です。現在、全国の消防本部で約4,000隊以上が登録されています。)

河南町消防隊 現地での活動

311日に緊急消防援助隊大阪府隊、約300人の一員として派遣を命じられ、集結場所である大阪府吹田市の万博公園駐車場を出発しました。東北地方を北に走る東北自動車道を被災地に向け走り続けるにつれ、道路の地割れや隆起が大きくなっていき、少しずつ地震のすさまじさを感じながら、大阪を出ること約30時間後、進出拠点の岩手県遠野市に到着しました。

 

進出拠点に到着

 

拠点地から1日目は被災地の釜石市に、2日目は大槌町へ入りまた。
被災地の現状も分からず、初めての派遣に不安もありましたが、被災地を消防車で走っていると、現地の人が道路脇から手を振ったり、敬礼や頭を下げてくれたり、「頑張ってください」と声をかけてくれる人たちがたくさんいることに、被災しているにもかかわらず激励してくれる人たちに、勇気をもらい「何とかして救助したい」、「頑張ろう」という気持ちになり、またそれ以上に、派遣された任務の重さを感じていました。

被災地は、思っていたよりもはるかに悲惨な状況でした。地震(津波)の恐ろしさを目の当たりにし、想像を絶する光景が広がっていました。町中は、見渡す限りのガレキの山。どこから手を付けて良いのか分からないほどの壊滅状態でした。
被災地は港町ということもあり、町のいたるところに「津波警戒区域」や「津波発生時避難場所」などの看板がたくさん目に付きました。この町は過去にも津波の被害を受けていて、地震に対する警戒が普段からあったのに、町ごと飲み込んでしまうほどの大津波だったんだと…。

被災地の光景1

被災地の光景2

要救助者がどこにいるのか、また何人いるのかわからない状況下で、生存者捜索が主な任務であったため、活動中は「誰かいませんか~」、「返事して!」などの声かけをし、板や柱などのガレキを手作業で除きながら行いました。
倒壊家屋に入り生存者を捜索していると、家族の写真や子どもが書いた作文などが散乱しているのを見ました。地震が起こる前までは普通の生活をしていたのに一瞬でこのような状態になるのかと、やりきれない気持ちになり、自然の猛威に対する人間の無力さを感じていました。
木造家屋のほとんどは姿を消し、ビルを見れば3階付近まで水が達したと思われる跡も残っていました。また、道路には梁や柱、家財道具が山のように盛り上がり、その間で自動車が横転している姿を見て「恐怖」を感じることもありました。
大阪府隊の一員として、なんとか生存者を救出しようと懸命な救援活動を2日間行いましたが、身元不明の遺体を安置所へ搬送するという作業がつづき、大阪府隊で約60体もの遺体を搬送しましたが、生存者を発見することはできませんでした。

被災地の光景3

被災地の光景4

復興には時間がかかると思いますが、この救援活動へ行った者から、被災地の人たちへは「頑張って欲しい」と、簡単には言えませんが、1日でも早く復興してほしいと願います。今回派遣されたメンバーで何年後かに、復興した町を見に来ようと話をしています。被災地の人たちの生き生きとした姿を早く見たいと願っていますので、心を強く持って、頑張ってほしいです。

河南町に住む皆さんには、いつ発生するか分からない災害に備えて防災意識を高くもっていてもらいたいと思います。

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