寛弘寺古墳群

更新日:2022年09月30日

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尾根の上に多くの古墳がある寛弘寺古墳公園の全景写真

寛弘寺古墳公園は、河南町の西部、千早川西側の丘陵上にあります。

この地域一帯はかつて狭い谷の入り組んだ丘陵地帯で、尾根の上には多くの古墳が点在していました。ここにあったいくつもの古墳をまとめて寛弘寺古墳群(ツギノ木山支群)といいます。

農地開発事業にともなう、この地域の遺跡の発掘調査は昭和 57年にはじまり平成12年まで続きました。発掘調査によって確認された古墳は総数92基。
4世紀中ごろから7世紀後半にかけて、このあたりの豪族が造ったと考えられています。

寛弘寺の古墳はどれも小型であったため、ほとんどが古い時代に壊され姿を消しましたが、4・5・6・7号墳の4基の古墳は古墳公園として、現地で保存整備されています。

この4基の古墳は、古くから「寛弘寺の七ツ墓」としてよく知られ、歴史的にも貴重なものです。
寛弘寺古墳群の出土遺物は大阪府立近つ飛鳥博物館で保管・展示されています。

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