消防団とは?

更新日:2022年09月30日

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消防団の歴史

江戸時代

  • 消防団ができた背景には、江戸時代の八代将軍吉宗が関与していると云われています。
  • 当時、江戸の町には、店火消(たなびけし)という町人による火消組織があり、町単位で30人程度が火事場で活動していました。
    しかし、幕府の財政立て直しに取り組む吉宗は、頻発する大火によって大きな打撃を受けていることから、その打開策として、町奉行である大岡越前守に店火消組織の拡大を命じ、いろは四十八組を設置しました。

明治時代

  • 明治に入り、「町火消」は東京府に管理を移されました。
  • 明治3年、東京府は消防局を置き「町火消」を改組して「消防組」としました。
  • 明治7年、東京警視庁は消防組員に対して、仕事上の心得、規律、規則を定めた「消防章程」を制定し、これが明治の消防の組織活動の基礎となりました。
  • 明治27年、政府は全国的にまだまだ公設消防組がないという現状をふまえ「消防組規則」を制定しました。これにより消防組の組織及び基準が統一され、また府県知事による消防組の設立が義務付けられました。

 消防組は、府県知事(警察権)が管理するものの、費用は市町村負担で行っていました。

昭和時代

  • 昭和14年、国際情勢が悪化する中、警察補助機関として消防組と警護団(民間防空団体)が統合した「警防団」が全国一斉に発足し、水火消防業務に加えて防空の任務も行うことになりました。これにより、明治以来の消防組は解消されることとなりました。
  • 昭和22年、消防団令の発令により警防団は解消され、新たに全国の市町村に自主的民主的な「消防団」が組織されることになりました。
  • 昭和23年、消防組織法の改正により消防団令が廃止され、消防団に関することが規定されました。
  • 昭和26年、消防組織法の改正により任意設置であった消防機関の設置が義務化され、現在に至ります。

河南町消防団の歴史

  • 昭和31年、石川村・白木村・河内村・中村が合併して河南町となり、河南町消防団が結成されました。
     合併以前は、村ごとに、大正8年に【消防組】、昭和14年に【警防団】そして昭和22年には【消防団】が結成されていました
  • 昭和55年、大宝分団が発足し、5分団制となりました。
  • 平成19年、女性消防団(本団付)が発足しました。(8名入団)
  • 平成31年、女性消防団が本団付から女性分団となり、現在の6分団制となりました。

消防団員の身分

  • 消防団員は、非常勤で特別職の公務員です。それぞれの職業をもつかたわら、
    災害時等には消防団員として活動しています。
  • 消防団の活動は、原則として団体行動をとります。
    その理由は、危険な災害現場での活動においては、リーダーの指揮に従い行動することが重要となるからです。
    そのため消防団には、消防職員と同様に階級制度があります。

消防団員の使命

大切な人、大切な町は自分たちで守る

消防団員は、区域内に居住または勤務しています。
そのため、地域の人々や事情に通じており、災害時には即時に対応が可能である等の特性があります。
このような特性を活かし、火災に対して地域防災の中核として活動しています。

自分の郷土である河南町を愛し、“自分たちの町は自分たちで守る”という使命に誇りをもって火災や風水害などの災害に備えて日頃から訓練や予防・防火広報活動等を行うと共に、命の尊さを伝えるために女性消防団員が応急手当指導員の資格を取得し、普通救命講習を実施しています。

この記事に関するお問い合わせ先

総合政策部 危機管理室
〒585-8585
大阪府南河内郡河南町大字白木1359番地の6
電話番号:0721-93-2500(内線:222・223)
ファックス番号:0721-93-4691
Eメール/安全安心係:kikikanri@town.kanan.osaka.jp
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